『Quick Japan』95年3号 「いじめ紀行 第1回ゲスト 小山田圭吾の巻」 1

僕は『月刊ブラシ』*1というミニコミを編集している。

 

インタビュー中心の雑誌で、二二の時に創刊して、もう二年が過ぎた。今までにインタビューしたのは、爆弾製造青年、五年間顔を合わせたことのない隣人、日本語学校の生徒、駆け出しの探偵、等々。特に決まったジャンルとかは無いので、今は閃いたことを全部やるようにしている。

 

インタビューをしてると、相手が「マンガみたいな現実」を語ってくれる時がある。例えば、爆弾製造青年が高校の時に友達から「不良にからまれるから爆弾作ってくれ」って言われたとか、「探偵が学校に潜入する時は用務員のフリをする」とか、そんな話にはメチャクチャシビレる。

 

関係ないけど「スティービー・ワンダーは必ず綺麗な女を選ぶ」とか「ビーチ・ボーイズはメンバー全員カナヅチだ」とか、「火葬場はやはり火事がおこりやすく、職員が焼け死ぬことがよくある」*2とか、そんなエピソードも大好きだ。

 

そんな僕にとって、"いじめ"って、昔から凄く気になる世界だった。例えば

 

*ある学級では"いじめる会"なるものが発足していた。この会は新聞を発行していた。

あいつ(クラス一いじめられている男の子)とあいつ(クラス一いじめられている女の子)はデキている、といった記事を教室中に配布していた。とか、

 

*髪を洗わなくていじめられていた少年がいた。確かに彼の髪は油っぽかった。誰かが彼の髪にライターで点火した。一瞬だが鮮やかに燃えた。

 

といった話を聞くと、

"いじめってエンターテイメント!?

"とか思ってドキドキする。

だって細部までアイデア豊富で、何だかスプラッター映画みたいだ。

(あの『葬式ごっこ*3もその一例だ)

 

僕自身は学生時代は傍観者で、人がいじめられるのを笑って見ていた。短期間だがいじめられたことはあるから、いじめられっ子に感情移入する事は出来る。でも、いじめスプラッター*4には、イージーヒューマニズムをぶっ飛ばすポジティヴさを感じる。小学校の時にコンパスの尖った方で背中を刺されたのも、今となってはいいエンターテイメントだ。「ディティール賞」って感じだ。どうせいじめはなくならないんだし。

 

去年の一二月頃、新聞やテレビでは、いじめ連鎖自殺が何度も報道されていた。「コメンテーター」とか「キャスター」とか呼ばれる人達が「頑張って下さい」とか「死ぬのだけはやめろ」とか、無責任な言葉を垂れ流していた。嘘臭くて吐き気がした。

 

それに、いじめた側の人がその後どんな大人になったか、いじめられた側の人がその後どうやっていじめを切り抜けて生き残ったのか、これもほとんど報道されていない。

 

誰かこの観点でいじめを取り上げないかな、と思っていたら、昔読んだ『ロッキング・オン・ジャパン*5小山田圭吾インタビューを思い出した。

 

bibokj.hatenablog.com

 

*1:現在六号「特集・隣人にインタビューする」発売中。本誌"インディ・マグ紹介"のページ参照。

*2:猪瀬直樹・著『日本凡人伝・死を見つめる仕事』(新潮文庫)参照

*3:一九八五年一一月、東京中野区の中学校で起きた。いじめられっ子がみんなで弔いの言葉を寄せ書きし、本人に贈呈したというもの。机には寄せ書きの他に、穴を開けて火のついた線香を刺した夏ミカン、花を挿した牛乳ビン、アメ玉等も添えられていた。寄せ書きには担任も参加した。この後、いじめられっ子は本当に自殺する。

*4:ビデオ屋ではホラー・コーナーに並べられているアメリカ映画『悪魔の毒々モンスター』シリーズは、いじめスプラッター映画として必見。

*5:一九九四年一月号